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おそくなりました。

このブログの本来は徒然なのであしからず。


こんばんは。椋です。




昨日の1/17。遅くなりましたが、被災してお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。


僕は一応兵庫県民なので、これぐらいの配慮がやはり必要かと思いまして。はい。重たい話題ですが。




なんでしょうかね。後一ヶ月の半分もしない内にまた、年をとる僕ですが。考えることが増えてきたような気がします。本当に。


まだまだ自分としては甘い部分もあるんですけどね。でも、少しは成長したのかなって思いました。



まぁ、そんなことはどうでもいいですね。はい。




えっと、僕は芦屋生まれの芦屋育ちだったんですけども、一時期山口県の下関に住んでいました。当時2歳くらいかな。うん。


ちょうどその時だったんですよ。震災が。


もちろん震源から遥か遠い僕は震災の被害になんて全くあっていません。下関に住んでいたのもほんの数年で西宮と芦屋のほぼ境ぐらいにまた引っ越してきて。僕はずっと阪神地区に住んでいるものだと思い込んでいて、でも震災の記憶なんて微塵もなくて、なんでだろうと思っていたらそんな事実がここ最近でやっとはっきりしてきたってワケなんですよ。


母方のおばあちゃんは当時も芦屋に住んでいたので、被害を目の当たりにしています。亡くなってはいません。運よく、僕が知っている限りの周りの人は亡くなっていません。



簡潔に言うと、僕は震災で誰も失ってないということなんです。本当に運だけが良くて。誰が悪いでもなく。



だから、震災の傷を被った生き方、考え方なんてまるでしてきていませんでした。


自然災害だし人間が抗えるわけない、とか、仕方ない、とか、そんな他人事のような台詞ばっかり。浅はかな子供の考えですよ。いやまぁ、これも仕方ないことなんだけども。





それでも、今日この日、僕は一年とそれ以上前とは全く違った想いを抱いたというか。


僕は所謂アレです。「死んでいたかもしれない人間」です。タイミングによっちゃあ。


だから、色々と複雑な気分になったんですよね。もし僕が死んでいたら。もし僕が、たとえ幼くても、誰か周りの知っている人を失ってそれが今にフィードバックしてきたなら、とか。


そんな複雑で曖昧な気分を抱えて僕は生き方と考え方をどのように変えていけばいいのか。そんな壁にぶち当たりました。


人と自然のかかわりについて、誰も悪くない、人と人同士との離別について、手を組み合う事の大事さについて。


今の僕じゃ到底説明も、理解も、悟ることもできません。1000年、もしくはそれ以上生きなきゃ。だからこんな場で大口叩けるってわけでもないんです。


ただ、考えることが人間らしさ、僕らしさであって、それを終わらせないようにするのが僕らのやるべき事なんじゃないかって。誰もがきっと最終的にはそこにたどり着くと思うんですよ。僕も今、たどり着きましたから。


なので、みなさん、考えましょう。何も無いところから考える人とかは難しいと思いますが、何かしらのインスパイアを手に入れられるはずです。僕だってインスパイアされて、今こうして何かを語っています。皆さんにも、考えること、語る本能があるはずです。それをしていただきたい。マジですから。僕は。


この前テレビで見た、「震災を忘れないでほしい」って言っていた高校生の女の子の言葉をやっと共感できたような気がします。はい。





こうして書いてる時間は長くても、僕の言葉も短いものですね。てんでダメだ。もっと考えられる人間にならなきゃ。







はい、まぁ、明日からは流石に更新しないかと。思いますがまたなんか徒然る事があったらはい。




では。
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